うっすらと開いた眼に差し込む日差しは柔らかく、寝ぼけた頭に小鳥たちの歌声が囁く。 「ん……」 「やあ、お寝坊さん。そろそろ起きて頂けるかな?」  声のした方へ視線を向ける。柔らかい白い髪が、朝日に照らされてキラキラと輝き、 吸い込まれるような空色の瞳が、楽し気に見下ろしていた。 「テ……テミ、テミス!?」  俺の部屋にテミスがいる。手が届きそうなほどすぐ傍にテミスがいる。なぜか恥ずかしさがこみ上げ、思わず毛布を抱えたまま後ずさってテミスと距離を取った。同性同士、同世代同士、何を気にすることもないだろうに。なぜか妙に顔が熱い。 「……す、すぐ着替えるから、ちょっと待っててくれ」 「わかった。下で待たせてもらうよ」  目線が合わせられない。俯いたままそう告げると、テミスは素直に退散していった。 足音が階段を下りていく。ほっと胸をなで下してベッドから立ち上がると、脇に設えられた小窓を開けた。よく晴れた青空が広がっている。しかし、誰がどう見ても約束の時間はとうに過ぎてた。しかも、ちょっとやそっとではない。俺は慌てて身支度を整えると、慌ただしく階段を駆け下りた。

「はぁ……悪い……」 「なに、構わないよ」  居間でゆったりとお茶を嗜んでいるテミス以外に、やはり人の気配はない。あのラハブレアのことだ、とうに仕事に出かけたのだろう。 「その、ラハブレアは?」 「彼ならもう出たよ。朝食はそこに。ああ、もちろんラハブレアが創ったものだよ」  小言のひとつでも言付けされているかもしれないと思ったが、待っていたのは朝食だった。トーストに、卵に、カリカリに焼いたベーコン。やはり子供のころの好物だ。時間は過ぎているが、かといってこのまま残すのも落ち着かない。俺はテミスに断りを入れると、朝食にありつくことにした。 「それで、昨夜はどうだったんだい?」 「どうって……」  昨夜のことを振り返る。幼少以来の父との食事に、弾むような会話はなかった。もちろん、そんなものは最初から期待もしていない。ただ、用意された食事も、部屋も、そこから感じるものは確かに在った。この朝食だって、そのひとつだ。 「……まあふつうに食事して、たいして会話もなくて……でも、あいつが創った料理はおいしかったよ」 「それはよかった」  テミスが嬉しそうに微笑む。その姿が眩しくて、俺は目を逸らしながら流し込むように残りの食事を口に放り込んだ。

アーモロートの時間はゆるやかに進んでいく。幼いころに歩いた道も、建物も、木々も、ほとんど変わりはない。各院へは勉学か、あるいは職務で訪れることはあったが、今日は見学という立場だ。テミスと他愛もない会話を楽しみながら、ゆっくりと街を歩んでいく。  各院の研究者や学者たちは、俺たちが見学者だと知ると、丁寧に案内や説明をしてくれた。だが、パンデモニウムの職員だと告げるや否や、みな一瞬にして目の色を変えたのだ。 「あの施設に施された結界について語らおうじゃないか!」 「カーバンクルの改良を考えているんだが、獄卒の君からもぜひ意見が欲しい」 「あなたから見た失敗作とはいかなるものか」  パンデモニウの獄卒という職は特殊なものだ。収監されている生物たちの研究や観察も行うが、それ以上に生態の管理という面が大きい。常に危険と隣り合わせの環境に、わざわざ好んでこの職を選ぶ者は少ない。ゆえに、有識者たちにとって獄卒という存在はもの珍しいのだろう。彼らの質問や弁論の相手をしているうちに、時間はあっという間に過ぎ去っていった。  公園の噴水に腰かけながら、ようやく一息つく。こんなにも誰かと喋ったのは実に久しぶりだ。いや、初めてかもしれない。 「つ、疲れた……」  職務とは異なる疲労に項垂れていると、隣から紙製のコップを差し出された。ほどよい甘さと酸味の葡萄のジュース。一口すすれば疲労が吹き飛んでいくようだ。しかし、視界の端に映るテミスは顔色は、なにひとつ変わっていない。さすがと言うべきか。俺は視線を落としたまま、口を開く。 「あのさ、テミス。なにか俺に出来ることないかな? お礼がしたくてさ」 「礼?」 「パンデモニウムの件もそうだし。その後もこうして友人として接してくれて……世話になってばかりだからさ」 「ああ、それで時々思いつめた顔をしていたのか。君は分かりやすいからね」  ぎくりとして、右手で口元を覆う。顔が熱い。出さないように気を付けていたつもりだが、調停者の前では筒抜けだったという訳だ。 「礼なんて必要ないよ。私がそうしたくてやっただけだ。それにね、礼を述べるのであれば、それは私の方だよ」  驚いて顔を上げると、身を乗り出したテミスの瞳がすぐ間近に迫っていた。鼓動が早鐘を打ち、どくりと血の巡る音が耳に響く。 「君は私がエリディブスだと知っても、テミスの時と変わらず接してくれた。それがすごく嬉しかったんだ。こうして気兼ねなく語らい、他愛もない時を共に過ごせることが本当に本当に楽しいんだ」  常に冷静で大人びたテミスの顔が、無邪気な笑顔に包まれる。真っ白な髪と睫毛が陽の中で輝いて、それがどうしようもないほど美しい。 「だから何か欲しいと言われれば、これからも友人としていて欲しい、というくらいかな」  そんなささやかな願いでよければ、いくらだって叶えよう。この先も、ずっとはるか先まで。 「……ああ、もちろん。これからもよろしくな!」  ぎこちないながらに笑顔を浮かべ、テミスの眼差しを正面から見つめる。湧き上がる感情はひどく熱を帯びていて、それは嬉しいという言葉では到底表しきれない。今はただ、ひとりの友人として隣に立てることを、素直に喜ぼう。そして、願わくばこの縁が末永く続くように祈りを込めて。

2022/10/6

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